『寸胴鍋の秘密』
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続・オシムの言葉
2006年09月08日 (金) 22:01 * 編集
「オシムの言葉」という本が売れているそうだ。
ジーコ監督の後を受け、厚顔破廉恥な川淵会長の強い意向もあって、鳴り物入りで登場したオシム監督の過去の発言を集めた本だという。
この本の発刊は、2005年12月だから、発言した内容は昨年度末までのものが収録されているはずである。
ここでは、オシムの最近の発言を集めてみた。
いってみれば、「続・オシムの言葉」である。

代表監督へ就任した当初、彼は「敗北は最良の教師」と語った。
勝ち負けなんかどうでも良いのだ。いや、むしろ負けた試合にこそ、学ぶべきことが沢山あるということをアピールしてみせた。
勝ち負けにこだわる日本のファンに強い印象を与えた。
寸胴鍋もなるほどなと思った。
度量の広さを感じさせ、「お主、相当、期待させるな」と感じた。

その後、実際に負けてしまった試合の後で次のように述べた。
「負けることそのものが、ためになるわけではない。内容はよかったが負けた。そこから何を学べるか。考える姿勢が大切だ」。
なんと、先に発言した「敗北は最良の教師」の真意を語ったのだ。
まるで、自分の発言の展開シナリオを事前に組み立てた上での発言のようである。
やはり、「こいつはタダ者ではない」と思わせた。

しかし、変化を感じさせたのが、先日のイエメン戦の後である。
「いずれにしても勝ってよかった。負けないときでも学ぶことはある」。
やはり、オシムも勝ち負けには一定のこだわりを持っているのだなと感じさせた発言だった。
「なんだ、こいつもタダ者かな」という疑問が首をもたげた。

しかし、オシム監督はやはりタダ者ではないと思わせたのが次の発言だ。

「これまでの4試合ともゴールを挙げるまでに、私がどれだけ心の中で苦しんだか分かるか。こんな試合で監督をやるなら、どこかの炭鉱で働いた方がましかもしれない」
炭鉱労働といえば、過酷な労働の代名詞である。
これを持ち出して、自分の監督としての労苦とを比較するなんて凄い。
一国のサッカーの代表監督の言葉として、こんな発言ができるなんて、タダ者じゃない。

さらに、日本の決定力不足に、「日本サッカーの持病である。すぐには直せないものだ」とも語った。
歴代のサッカー監督の誰もが成し遂げられず、そのまま、ずるずると日本チームの課題として脈々と受けつげられている決定力不足は、簡単には治せない。
言外に、今までの監督は何を指導してきたのかと言わんとしているようにも思える。
一国のサッカーの代表監督として、こんな発言ができるなんて、タダ者じゃない。

「このチームは前進し始めた。ただ、その道のりは険しい」
おっしゃるとおりだ。
異論もなければ、反論もない。当然の話だ。
どこの国の代表監督も、それぞれのチームを険しい道のりの中を着実にリードしていくことを任された人である。わざわざ口にすべきことでもあるまい。
一国のサッカーの代表監督として、こんな発言ができるなんて、タダ者じゃない。

「オシムの言葉」は結構売れたそうだあるが、こんなんじゃ、「続・オシムの言葉」は、本にしても売れそうにもない。

ところで、話は変わって、新しいサッカー代表チームについて。
新チームになってから、どうも、サッカーへの興味が薄れた。
なぜなのか。
技術が足りないからか。
チームプレイが弱いからなのか。
気概が感じられないからか。
知らない選手が増えたからか。
大きな試合ではないからか。

どれも少しずつ該当しているのかもしれないが、今のチームには、なにか「華」が足りないように私には思える。
具体的にどうのこうのと言えるほど、分析できるわけではなく、何をどうすればいいのかも分からないが、そう感じるのだ。
見ていて、ドキドキしないし、手に汗しない。
勝って欲しいと強く思わないし、負けても悔しいと感じない。
なぜなんだろうね。

ところで、日本サッカーはややもすると、監督への注目度が高くなりすぎる嫌いがあるが、しかし、かといって、監督に華を求めるわけにはいかない。
華を持つべきはピッチに立つ選手達である、これだけは明確である。



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