『寸胴鍋の秘密』
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ボディスーツと鐘の音
2007年01月01日 (月) 20:35 * 編集
バーチャルという言葉がある。
意味は、実体を伴わないさま。仮想的。疑似的といったものだ。
前項で取り上げたネット参拝もバーチャルに近いのだろうが、どういう手段であれ、参拝できるのだから、本当の意味でのバーチャルではない。

バーチャルとは、簡単にいえば、真(まこと)に近い嘘の世界だろう。

例えば、バーチャルアイドル。
実際には世に存在しないアイドルをコンピューターグラフィック等で描く。
リアリティはあるものの、嘘の世界だ。

バーチャル広告。
大リーグ中継の際、球場のフェンスに日本の企業の広告があり、不思議に思ったことがあったが、これがバーチャル広告である。
デジタル処理により,実在しない画像を映し出すテレビ広告という。
これも、嘘の世界だ。実際の球場には日本の企業の広告などない。

ところで、紅白ストリップ合戦のようだった、昨日の紅白歌合戦。
ボディスーツというアナログツールも見方を変えると、バーチャルなのだろう。真に近い嘘であるから。

寸胴鍋も見ていたが、最初は驚いた。
「ようやるわ。最近の女の子も、NHKも。」
「しかし、彼女ら、なんのテレもないのかねぇ、妙にあっけらかんとしているなぁ」なんて思った時に、嘘に気付いた。
そして、思い出した。

5~6年前、花見に仲間と近くの公園に出かけた。
そこかしこに車座になった泥酔客のグループ。
少しすると、10メートルくらい先にいたグループから歓声が沸いた。
見ると、真っ裸の若い男と若い女が仲間の周りをぐるぐる走り回っていた。
どこを隠すなんて気はなく、大きく手を広げてキャーキャー走っていた。
「すげー見世物だな」「いいもの、見せてもらいました」なんて仲間と興奮したが、これも少しすると、興ざめとなった。
肌色のボディスーツに黒の毛糸を局部にくくりつけただけだと分かった。

なんとも、バーチャルとは思わせぶりなことであるが、便利なバーチャルもある。


<叩けば鳴ります除夜の鐘>

11のお寺の鐘を紹介してくれている。
バーチャルだけあって自分で鐘を撞ける。

一口に鐘と言っても、その音色はいろいろだ。
悲しげなもの。
自信に満ち溢れたもの。
くすんだもの。
輝かしいもの。
内省的なもの。
くぐもったもの。
放つもの。

寸胴鍋は、長谷寺の音色が好みだ。
1日遅れとはなるが、108回叩くことも可能なので、叩いてみてください。
紅白歌合戦の煩悩を消し去るために。

なお、今月一杯までの期限付きなので、お早めに。



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初詣で想ったこと
2007年01月01日 (月) 20:27 * 編集
あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。

ところで、皆さんは、初詣には行かれましたか。

「俺は、大晦日から明治神宮に行ってきた」
「凄い人手だったでしょう。ご苦労様でした。」

「私は、これから、近くの神社にお参りしてきます。」
「近所の神社、良いですね。」

「私、さっきクリックしてきました。」
「?」
「ネット参拝ですよ。お気軽でお手軽で良いですよ。」

なんと、便利になったものだ。
神社本庁は、「ネット上に神霊は存在しない」と否定的であるが、参拝にいけない人や参拝者の少ない神社にとっては頼れる手段である。
どんなものなのか、ネット参拝ができる神社の一つをご紹介。


<新宮神社>

ところで、寸胴鍋は午後一番で近所の神社に詣でた。
参拝者の列の最後尾から賽銭箱にたどり着くまで1時間30分かかった。
風こそ吹いていなかったものの、曇り空だったこともあって、寒かった。

行列の中にいると、列の前後の人たちの顔を覚えたり、一言二言会話を交わすこともある。
1時間くらい待った頃、そんな一人のおばさんが、何気に言う。
「途中から、列に入るヤツに御利益なんてない。神様はしっかり見ているのだから」

そのときは、なんでこんな発言するのか、分からなかったが、参拝を済ました後、家人が言う。
「途中から列に加わった夫婦者がいたのよ」
「図々しい」

なるほど、寸胴鍋は途中列を抜けて紫煙をくゆらしていたこともあって分からなかったが、すっとぼけて途中から列に加わった者がいて、オバサンは彼らに対して遠まわしに文句を言っていたのだった。
そういえば、途中から見かけない中年夫婦がいたような…。

しかし、気分が悪い。
新年早々、こんなズル、やるかねぇ。
正月から人のいやな面を見せ付けられてしまった。
こんな想いは、ネット参拝なら持つことはなかろう。
自宅のパソコンで願い事をインプットして、メール感覚で発信すればいいのだから。

寒い中でいやな想いをしながら参拝するのと、暖かな部屋でのお手軽なネット参拝。
どちらが願いが叶うのか。
どちらともいえないだろう。
結論は、参拝する人の心の問題だからだ。

「途中から、列に入るヤツに御利益なんてない。神様はしっかり見ているのだから」という、おばさんの一言を信じたい。



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