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『寸胴鍋の秘密』
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海の中道大橋事故、その後
2006年09月08日 (金) 22:14 * 編集
海の中道大橋事故については、その後、報道が続いた。

容疑者の男が事故現場までの道順について「覚えていない」ほど飲んでいたこと、衝突後、酔いを醒まそうと、仲間にペットボトルの水を持ってくるように指示し、それを大量に飲み血中アルコール度を引き下げていたこと、運転していた理由は、「女性をナンパしようと思い、車で福岡市中心部に向かってドライブしている途中だった」ことなどなど。
容疑者の呆れた行動に関するものが多かったが、対策めいた報道は少なかったと思う。
本日の次の記事は、その少ない報道の一つだ。


福岡市東区の海の中道大橋で同市職員が飲酒運転し、幼児3人を死亡させた追突・転落事故をめぐり、市は事故が起きた同大橋の防護柵(ガードレール)を、車両用に付け替える方針を固めた。
同大橋の事故があった側の車線にある防護柵は国の基準に基づいて設置されていたが、歩行者用だったため、車両事故には耐えられない構造だった。
今回の措置は、事故車両が防護柵を突き破って転落した場合の二次的な事故被害を引き起こさないための安全策。「事故再発に向けた具体的な動きの一つ」という。
道路構造や防護柵は、国が定めた道路構造令の基準に基づいており、市は「行政上の瑕疵はない」との立場だが、道路の安全性を向上させることも交通事故の被害拡大を防ぐと判断、防護柵を付け替えることにした。
市は今回の事故を受けて、国でも防護柵設置基準の見直しが進むとみており、今後、国の動きを見ながら、防護柵付け替えの具体的な時期などを検討する。(毎日新聞)

海の中道大橋事故に関しては、これについて記述した当ブログの記事に対して、貴重なコメントをいただいた。
都市計画の立場から最高速度制御車の研究されている小栗幸夫という方からだった。
やり取りを再掲する。




・欄干強度が問題か?

おはようございます。「海の中道大橋」「事故」のキーワード検索でトップに出ていた貴ブログを拝読しました。
まず、亡くなった3人の幼い子たちに冥福を祈ります。この問題ブログに記されていることに敬意を表します。その上で、欄干強度が問題か? と問題提起をします。
欄干から落ちたことで惨事はよりショッキングなものになっていますが、欄干が強度の高いものであれば別の形の大事故になったでしょう、
このことについて私は自分のブログに書いています。http://blog.livedoor.jp/oguriyukio/をご覧ください。
この事故に注目していきたいと考えています。私は都市計画の立場から最高速度制御車の研究をしています。
2006/08/28(月) 10:18:35  小栗幸夫



・ありがとうございます。

小栗幸夫さん、メールありがとうございました。
また、問題提起、ありがとうございます。
貴殿のおっしゃる通り、不適切な強度を防護柵に持たせれば、それとの衝突でさらに惨事は大きくなったかもしれません。
私もブログの中で、「ガードレールの設置については、現状以上の特別な配慮が必要ではないか」と記した通り、単に頑強な防護柵を設置すべしと考えたわけではありません。
また、今回の事故の問題が全て防護柵にあるなどとは思っていません。
但し、今回のケースの場合については、転落した側の防護柵は、車の衝突は想定していない、歩行者が橋から落下しないためのものだったことは、留意すべきだと思います。
問題を解決するためには、長期的な視点から取り組むことと、短期的な取り組み、つまり、緊急対策的な対応があります。この両方からのアプローチが必要だと思います。
悲惨な事故をなくしていくには、小栗さんの提唱されている方法も非常に有効だと思います。
ただし、現実、このような悲惨な事故が起きてしまったのですから、似たような悲劇が起きるのを防ぐため、早急に現実的な解決策を講じることも大事なことだと思うのです。
おっしゃる通り、本質的な解決ではないにしろ…。
2006/08/28(月) 23:08:41 寸胴鍋



・返信、ありがとうございました。お考えよく理解します。その上で・・・

またお訪ねし、私のコメントに返信をいただいたことを知りました。ありがとうございます。
あらためて、この事故を取り上げらていらっしゃることに敬意を表します。ご意見も理解します。その上で、私は欄干強度の問題を議論してはいけない、と言っているのではなく、そこに留まってはいけない、と考えていることをお伝えします。
一度の自動車事故の死亡者は1~2名、多くて5~6名。それゆえにたとえば福知山線事故で100人を超す方が亡くなったことと比べると衝撃の減衰が速い。その結果、報道もすくなくなり、長期的な対応がとられない、このような事態を懸念しているのです。
WHOのレポートでは世界の交通事故死は年間120万人という数値を採用しています。
とにかく、私たちがこの惨事を忘れないことが重要です。私は安全車の研究をやっていながら、万博に出たり、全国キャンパスが報道されたりで、一番重要な事故現場を見る、知るという原点をついつい忘れがちになってしまいます。(私の姉も97年に事故で死亡していますが。)自戒の念をこめて、自分の意見を言っています。
私のブログhttp://blog.livedoor.jp/oguriyukio/にこのことを書きます。ご覧ください。
ときどき訪問させていただきます。よろしくお願いします。
2006/08/30(水) 13:24:31  小栗幸夫



寸胴鍋のブログなど、単なる思い付きの羅列である。
取り上げる事件や事故に関する造詣など、ほとんどなく、気付くまま、或いは気持ちの思うまま、ペン先が走るままに記述しているだけ。軽薄を字でいくようなものだ。
小栗さんのコメントは、こんなブログにいただいた貴重なご意見の一つだ。
彼のブログを訪問し、読ませていただいたが、その取り組みに対して最敬礼である。

ところで、今回の記事は、福岡市が海の中道大橋の防護柵を、車両用に付け替える方針を固めたというものである。
小栗さんの取り組まれている本質的な解の提供ではないにしろ、今回のような悲惨な事故を少なくするための一つの取り組みとして評価したい。

海の中道大橋事故については、今までのところ、続報が連日のようにある。
しかしながら、小栗さんの危惧する通り、今後は、報道も少なくなり、その結果、長期的な対応がとられないことになるかもしれない。
これを防ぐためには、今回の事故を我々の記憶の中に強く留めておき、真の解決策はどうあるべきかを考えていくことが必要である。

対処療法的にしろ、本質的な解決方法にしろ、これらに関した報道が少ないのが残念である。

(寸胴鍋の秘密 海の中道大橋の事故)
(寸胴鍋の秘密 海の中道大橋転落事故の続報)
(小栗さんのブログ ソフトカー・ダイアリー)



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続・オシムの言葉
2006年09月08日 (金) 22:01 * 編集
「オシムの言葉」という本が売れているそうだ。
ジーコ監督の後を受け、厚顔破廉恥な川淵会長の強い意向もあって、鳴り物入りで登場したオシム監督の過去の発言を集めた本だという。
この本の発刊は、2005年12月だから、発言した内容は昨年度末までのものが収録されているはずである。
ここでは、オシムの最近の発言を集めてみた。
いってみれば、「続・オシムの言葉」である。

代表監督へ就任した当初、彼は「敗北は最良の教師」と語った。
勝ち負けなんかどうでも良いのだ。いや、むしろ負けた試合にこそ、学ぶべきことが沢山あるということをアピールしてみせた。
勝ち負けにこだわる日本のファンに強い印象を与えた。
寸胴鍋もなるほどなと思った。
度量の広さを感じさせ、「お主、相当、期待させるな」と感じた。

その後、実際に負けてしまった試合の後で次のように述べた。
「負けることそのものが、ためになるわけではない。内容はよかったが負けた。そこから何を学べるか。考える姿勢が大切だ」。
なんと、先に発言した「敗北は最良の教師」の真意を語ったのだ。
まるで、自分の発言の展開シナリオを事前に組み立てた上での発言のようである。
やはり、「こいつはタダ者ではない」と思わせた。

しかし、変化を感じさせたのが、先日のイエメン戦の後である。
「いずれにしても勝ってよかった。負けないときでも学ぶことはある」。
やはり、オシムも勝ち負けには一定のこだわりを持っているのだなと感じさせた発言だった。
「なんだ、こいつもタダ者かな」という疑問が首をもたげた。

しかし、オシム監督はやはりタダ者ではないと思わせたのが次の発言だ。

「これまでの4試合ともゴールを挙げるまでに、私がどれだけ心の中で苦しんだか分かるか。こんな試合で監督をやるなら、どこかの炭鉱で働いた方がましかもしれない」
炭鉱労働といえば、過酷な労働の代名詞である。
これを持ち出して、自分の監督としての労苦とを比較するなんて凄い。
一国のサッカーの代表監督の言葉として、こんな発言ができるなんて、タダ者じゃない。

さらに、日本の決定力不足に、「日本サッカーの持病である。すぐには直せないものだ」とも語った。
歴代のサッカー監督の誰もが成し遂げられず、そのまま、ずるずると日本チームの課題として脈々と受けつげられている決定力不足は、簡単には治せない。
言外に、今までの監督は何を指導してきたのかと言わんとしているようにも思える。
一国のサッカーの代表監督として、こんな発言ができるなんて、タダ者じゃない。

「このチームは前進し始めた。ただ、その道のりは険しい」
おっしゃるとおりだ。
異論もなければ、反論もない。当然の話だ。
どこの国の代表監督も、それぞれのチームを険しい道のりの中を着実にリードしていくことを任された人である。わざわざ口にすべきことでもあるまい。
一国のサッカーの代表監督として、こんな発言ができるなんて、タダ者じゃない。

「オシムの言葉」は結構売れたそうだあるが、こんなんじゃ、「続・オシムの言葉」は、本にしても売れそうにもない。

ところで、話は変わって、新しいサッカー代表チームについて。
新チームになってから、どうも、サッカーへの興味が薄れた。
なぜなのか。
技術が足りないからか。
チームプレイが弱いからなのか。
気概が感じられないからか。
知らない選手が増えたからか。
大きな試合ではないからか。

どれも少しずつ該当しているのかもしれないが、今のチームには、なにか「華」が足りないように私には思える。
具体的にどうのこうのと言えるほど、分析できるわけではなく、何をどうすればいいのかも分からないが、そう感じるのだ。
見ていて、ドキドキしないし、手に汗しない。
勝って欲しいと強く思わないし、負けても悔しいと感じない。
なぜなんだろうね。

ところで、日本サッカーはややもすると、監督への注目度が高くなりすぎる嫌いがあるが、しかし、かといって、監督に華を求めるわけにはいかない。
華を持つべきはピッチに立つ選手達である、これだけは明確である。



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